2013年4月7日日曜日

連載「ゲーマーのための読書案内」第57回:『「海洋国家」日本の戦後史』_2

。だが,日本の自己認識がそこに留まっていたわけではなく,むしろ国益追求のうえで冷戦の文脈を持ち込みたくないという部分に,日本外交の独自性があったのである。  その独自性をめぐって,この本には問題の軸をずらすという,現実の外交ではありふれているものの,ゲームではどうにもパラメータ化しづらい振る舞いの実例が多々登場し,「世の中というのは実際のところ,そういう手段で折り合っていくのか」といった示唆が,大いに得られる。つまり,PCゲーム内の外交要素が,描きたいけれどとても描けない境地が,活写されているわけだ。  また,ニクソン?ショックの名で知られる米中の電撃的な和解に際しても,日本はアメリカの意向と異なる行動をとっている。日本の対中和平交渉は普通,アメリカ追随外交という文脈で捉えられていたと思うのだが,アメリカに続いて即座に中国と和平した日本を,キッシンジャーは「最悪の裏切り者」とコメントしたらしい。  一方で台湾との軍事同盟関係を抱えるアメリカは,中華人民共和国とのあからさまな接近をあまり目立たせたくなかった意向のようで,すぐあとに続いた日本の動きを苦々しく見ていたのだ。これも,冷戦という空気を意図的に無視し,経済関係を最優先した例らしい。  こうして見てみると,ドラゴンクエスト10 RMT,日本の戦後史とて実にスリリングで,あとから振り返ってみたとき,十分外交ゲームの題材/勝利条件設定の一つとなり得るような気がする。だが,論壇における戦後論の空白と,おそらくは同じような理由で,戦後日本を題材としたゲームは見当たらない。このあたりに,いろいろ深く考えさせられる問題があるわけだ。  実際,曲がりなりにも戦後日本の国際関係を大きく捉えたゲームとしては,旧システムソフトのブラックジョークゲーム「ジャパン?バッシング」と,冷戦が熱戦に転化したケースを緻密に描くジー?エー?エムの「バトル」があった程度ではないだろうか(いやまあ,熱戦でいいなら「北海道侵攻」とか,いろいろあるけど)。 熱戦にでも転化しない限り,普通のゲームとして料理しづらいのは確かである。  その意味において,クリス?クロフォードの「バランス?オブ,DQ10 RMT?パワー」で計画されていたアップデート版「エスカレーション」が,結局世に出なかったことは本当に惜しまれる。この作品では中小国がそれぞれに軍事/政治/経済的な影響力を周辺に投下するという,より複雑な戦後政治の姿,いわゆる多極構造がシミュレートされるはずだった
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